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徳島地方裁判所 昭和55年(ヨ)166号 判決

申請人 谷口武治

申請人代理人弁護士 島内保夫

同 森吉徳雄

同 中田祐児

被申請人 宗教法人 大麻比古神社

右代表者代表役員 林福太郎

〈ほか一名〉

被申請人ら代理人弁護士 小川秀一

同 島田清

同 阿部隆彦

同 田中治

主文

一  本案判決確定に至るまで、申請人が被申請人宗教法人大麻比古神社の代表役員の地位にあることを仮に定める。

二  右の期間中、被申請人林福太郎の被申請人宗教法人大麻比古神社の代表役員としての職務の執行を仮に停止する。

三  被申請人宗教法人大麻比古神社は、申請人に対し、昭和五五年九月一日から本案判決確定に至るまで毎月二一日限り一か月金三八万五八〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

四  申請費用は、被申請人らの連帯負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請の趣旨

主文と同旨

二  申請の趣旨に対する答弁(被申請人ら)

1  本件申請は、いずれも却下する。

2  申請費用は、申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  本件神社は、天太玉命と猿田彦を祭り、殖産・交通安全・縁結びの神社として近隣の信仰を集めている宗教法人である。

申請人は、昭和三九年三月三一日、訴外宗教法人神社本庁(以下「神社本庁」という。)によって本件神社の宮司に任命され、その代表役員たる地位に就いた。

2  申請人は、昭和五五年八月一四日、神社本庁によって同庁役職員進退に関する規程(以下「進退規程」という。)二二条五号「職員として適当でないことが判明した」との理由で本件神社の宮司の職を免ぜられ(以下「本件処分」という。)、本件神社の代表役員たる地位を失った。

しかしながら、本件処分は、その理由を欠く無効なものである(詳細な主張は後記四・五のとおり)。

申請人は、本件処分当時、給与として毎月二一日限り月額金三八万五八〇〇円の支給を受けていたが、同年九月以降その支給を受けていない。

3  神社本庁は、同年八月一九日、同庁庁規九〇条二項により、被申請人林福太郎(以下「林」という。)を本件神社の宮司に任命し、同日以降同人は、本件神社の代表役員の地位にある。

4  申請人は、本件神社から支給される右給与を唯一の収入として生活し、現在居住している宮司職舎以外に居住すべき家屋も所有していないので、代表役員の地位が仮に定められないと、経済的に困窮するばかりでなく、住居すらも失う虞れがある。その他本件神社の現状からみても、申請人がその運営に当たるべき必要性があることは明らかである。

5  林は、申請人の後任者として本件神社の宮司に任命されているものであるから、申請人に対する本件処分が無効である以上、これと両立しない林の任命も無効であり、その代表役員としての職務執行は停止されるべきである。

よって、申請人は、被申請人らに対し、申請の趣旨記載の裁判を求める。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1ないし3のうち、本件処分がその理由を欠き無効であるとの主張は争い(詳細は後記三のとおり)、その余の事実は認める。

2  同4のうち、申請人が本件処分後も宮司職舎に居住していることは認めるが、その余は否認する。

申請人は、財産家であり、三人の成人した子がいていずれも大阪あるいは奈良で裕福に暮しているから、これらの子たちと同居することができ、またそうでなくとも、申請人の経済的能力からすれば宮司職舎以外に住居を求めることは十分に可能である。

3  同5の主張は争う。

三  本件処分の性質・理由(被申請人ら)

1  本件処分の法的性質

(一) 申請人が本件において求めているのは、代表役員たる地位を仮に定めることであって、宮司たる地位を仮に定めることではない。一方、神社本庁が申請人に対してなした本件処分は、本件神社の宮司の職を免ずるもので、同神社の代表役員の地位を免ずるものではない。神社本庁には、本件神社の代表役員任免の権限はない。申請人が本件神社の代表役員の地位を失ったのは、申請人が宮司の地位を失い、大麻比古神社規則(以下「規則」という。)九条が、「代表役員は、本神社の宮司をもって充てる」と定めていることの効果である。

(二) ところで、宮司の地位は、元来、儀式の執行、教義の宣布等宗教的な活動における主宰者たる地位つまり宗教上の地位であるのに対し、代表役員たる地位は、神社という法人の代表者つまり法人の機関という法律上の地位である。

したがって、神社本庁がその包括下にある各神社の宮司の任免を行う際には、右の宮司の性格にかんがみ主に宗教上の観点からその適格性の判断をなすのである。

もっとも、宮司の任免を行うことは、結果として代表役員の地位にも変更をもたらすものであるから、宮司の任免の際には、代表役員としての適格性をも判断しなければならないが、代表役員は法人の機関ではあるものの、あくまで神社という宗教団体の機関であり、その職務も多分に宗教的性格を帯びているのであって、結局のところ、神社本庁が包括下にある各神社の宮司の任免を行う際の判断は、任免対象たる人物の宗教人としての適格性ということになる。

(三) ところで、憲法二〇条の保障する信教の自由は、個人の内心における信仰の自由、宗教表現の自由、伝道の自由、宗教行為の自由のみならず宗教結社の自由を含み、それに基づき宗教団体の自由すなわち宗教団体の内部事項に関する自律権をも当然に保障するものである。

宗教法人法八五条は、右憲法二〇条の趣旨を受けて、「この法律のいかなる規定も、文部大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない」と定める。

これらの法の趣旨に従うなら、宗教団体たる神社の宮司等の職員の身分・地位は、当該宗教団体及び包括宗教法人が自由裁量で決することができることとなる。

したがって、宗教法人における役職員の任免は、基本的に宗教団体の自由裁量が認められ、任免の効力に対する裁判所の判断権も排除されるべきである。もっとも、いわゆる自由裁量が認められる領域においても、裁量権の濫用が存する場合には、これに対し裁判所が判断を加えることができるとの解釈が行われているが、その立場を取るとしても、あくまで宗教団体の自由裁量が原則であり、その濫用に対し裁判所が判断を加えうるにすぎない。

また、本件神社の宮司は、同神社の神職として最高の地位にあり、他の者の指揮・命令に従うものではないから、神社との関係は雇用ではなく、その任免行為に濫用があるか否かを判断するとしても、労働基準法等労働関係法規の適用はないものと言わなければならない。

2  本件処分の理由

申請人には、以下のような事由があり、これに基づいて本件処分がなされたものである。

(一) 次のとおり規則違反行為が多数ある。

(1) 昭和五三年度、五四年度各決算について、役員会の承認を受けず、総代会への報告を行っていない(規則三〇条二項、三三条、神社財務規程一九条違反)。

(2) 昭和五四年九月から同五五年三月まで及び昭和五五年度の各予算について、役員会の承認を受けず、総代会への報告を行っていない(規則二七条、三三条、神社財務規程六条違反)。

(3) 昭和五五年七月二四日、任期中の総代・責任役員(以下申請人を除く責任役員を「役員」という。)に対し、一方的に解任する旨の通知を発した。そして、総代選出母体の各町内氏子らから任期中の総代を一方的に解任することは認められない、現在の総代は非協力とは思えない、改めて選出を求めるのであれば従来の総代を推薦する旨の回答を受けたにもかかわらず、自己の意に添う人物に対し、勝手に総代を委嘱する旨通知した(規則一六条違反)。

(二) 次のとおり、境内地全般にわたる保護・管理・整備について、その対策を講じようとせず、規則に定める機関にも諮っていない。

(1) 天然記念物である境内の松並木の松喰虫の駆除消毒について積極的に取り組もうとしなかった。

(2) 神社への寄付者氏名を刻んだ石柱を便所の敷石にし、役員より右敷石を取り除くよう注意されたのに応じなかった。

(三) 役員・総代と協力して神社運営を行っていない。

(四) 社務全般にわたり氏子の信用を失する専断的な数々の行為があり、また宮司としての品格を疑われるような非常識な言動が多数ある。

(五) 以上の点について、申請人は、神社本庁の求めに応じて誓詞を差し入れておきながら、その誓詞を実行しなかった。

四  本件処分無効の主張(一)(申請人)

1  三1(一)は認め、同(二)、(三)は争う。

2(一)  同2(一)(1)、(2)のうち、昭和五三年度、五四年度各決算、並びに同五四年九月から同五五年三月まで及び同五五年度の各予算について、同五五年八月八日まで役員会の承認を受けず、総代会へ報告していない(以下総称して「本件予算決算の未承認」という。)ことはそのとおりである。ただし、本件予算決算の未承認は、申請人の責任ではない。なお、同日新たに選任された役員によって昭和五五年度予算が承認され、同月一一日には同じく役員会によって同五三年度、五四年度各決算審議がなされ、公認会計士に監査事務を委託した上で処置することが決定され、一応の処理がついている。

同2(一)(3)のうち、申請人が、昭和五五年七月二三日、任期中の一二名の総代(うち三名は役員を兼ねる。)を解任し、これに対して右各総代の選出母体である町内氏子から従来の総代を推薦する旨回答を受けたが、右一二名のうち八名の総代に代えて新たに総代を選任したことはそのとおりであるが、その余は事実に反する。これは、本件神社の運営に協力しない総代を解任し、そのうち四名を氏子の推薦に従って再び総代とし、八名を崇敬者の中から新たに選任したものである。

(二) 同2(二)は事実に反する。昭和五五年度松喰虫の駆除消毒が実施できなかったのは、総代兼役員である梯昌雄(以下「梯」という。)、青野泰之(以下「青野」という。)らがこれに反対したためである。

(三) 同2(三)、(四)は、いずれも事実に反する。

(四) 同(五)のうち、神社本庁が申請人に対し、昭和五五年二月一二日ころ申込書を送付して誓詞の提出を求め、申請人がこれに応じ同年三月二七日誓詞を提出したことはそのとおりであるが、その余は事実に反する。

神社本庁の要求は、申請人にとって一方的に不利な事柄ばかりであって、当時の申請人には実行不可能なものであった。それにもかかわらず、申請人は、誓詞を実行して予算の承認を求めようと努力したが、梯らは予算審議に応じようとせず、そのため承認が得られなかったのである。

五  本件処分無効の主張(二)(申請人)

1  本件処分の法令違反

(一) 宗教法人法七八条違反

本件処分は、本件神社が神社本庁との被包括関係を離脱するのを避けるためになされたものである。しかしながら、宗教法人法七八条は、被包括関係の廃止を防ぐことを目的として、又はこれを企てたことを理由として、代表役員等を解任することを禁止し、これに違反する行為は無効と規定している。したがって、本件処分は、右規定に違反しており無効といわなければならない。

(二) 役職員進退に関する規定違反

申請人に対する本件処分は、申請人が進退規程二二条五項「職員として適当でないことが判明したとき」に該当することを理由とする。

しかしながら、右規程は、役員と職員の進退について定めているものである。そして、同規程一条の二によれば「職員」とは庁規五条に規定する職員をいうとされている。同条は、この庁規において、「役員」とは本庁、神宮及び神社にあってはその責任役員をいい、「職員」とは庁規に規定する本庁の事務所及び神社庁及び神社の職員をいうと定められている。ところで、宮司すなわち代表役員も責任役員であることは、宗教法人法一八条一項、規則七条の趣旨等からも明らかであって、宗教界においては既定の事実といわなければならない。そうすると、宮司すなわち代表役員は、役職員進退に関する規定にいう「役員」であって「職員」ではないということになるから、神社本庁は、「職員」の免職事由に該当することを理由に宮司を免職したことになり、本件処分は明らかに違法無効である。

仮に、同規定の「職員」中に宮司が含まれるとしても、「職員として適当でないことが判明したとき」というのは免職の基準としてはあまりにもあいまいなものであり、本来、このような免職事由は無効なものといわなければならない。もしこの免職事由が有効であるというのであれば、同条一項に定める職に堪えないと認められるような精神的身体的欠陥が生じた場合と同視せられるほどの重大な非行があった場合にのみ免職しうるものと制限的に解釈しなければならない。このような点からみた場合、申請人に右に該当するような重大な非行があったとは到底考えられない。

2  本件処分の手続の違法性

(一) 神社本庁の調査の不十分さについて

神社本庁が本件神社の紛争の発生を知ったのは、昭和五四年七月中旬ころのことであるが、同庁は、事情聴取のため昭和五四年一一月二四日に琴陵理事を、翌昭和五五年一月二三日磯貝庶務部長を徳島に派遣したにとどまる。

このように、神社本庁は、自らの調査はほとんど行わず、もっぱら林の収集した情報を信用して申請人を辞めさせるべきであると判断したのである。したがって、申請人を辞めさせるべきと判断した神社本庁の調査が十分であったとは到底言えない。

(二) 申請人に弁明の機会を与えなかった事実について

神社本庁は、昭和五五年八月一〇日、人事委員会を開催して申請人を免職することを決定したが、この人事委員会に提出された資料のうち、申請人の主張の記載されたものは磯貝庶務部長の事情聴取メモのみであって、申請人には人事委員会における弁明の機会さえ与えられていない。訓告や戒告といった軽い処分ならともかく、免職処分という極めて重い処分については、少なくとも申請人に対して人事委員会の席上で弁明の機会を与えなければならないし、またその時間的余裕もあったのである。

以上のとおり、本件処分は、免職事由の調査が不十分であるばかりでなく、十分な弁明の機会も与えないまま行われたものであるから、その手続において違法であり、無効といわなければならない。

六  右五に対する認否(被申請人ら)

1(一)  五1(一)のうち、本件神社が神社本庁との被包括関係から離脱するのを避けるために本件処分がなされたとの点は否認し、本件処分が宗教法人法七八条に違反しているとの主張は争う。

(二) 同(二)のうち、本件神社の宮司が進退規程二二条にいう「職員」に該当しないとの主張、同条五号が免職の基準としてあいまいであり無効であるとの主張、仮に同条が有効であるとしても重大な非行があった場合にのみ免職しうるものと制限的に解釈しなければならないとの主張は、いずれも争う。

進退規程一条の二は、同規程における職員を「庁規五条に規定する職員」と定め、庁規五条では職員の範囲を「本庁の事務所及び神社庁並びに神宮及び神社の職員」と定め、庁規八五条、規則一七条には宮司が神社の職員であることを明記している。そうすると、本件神社の宮司が進退規程上の職員であることは明らかである。

2(一)  同2(一)のうち、神社本庁が本件神社の紛争を昭和五四年七月中旬ころに知り、事情聴取のため、同年一一月二四日琴陵理事を、翌昭和五五年一月二三日磯貝庶務部長を徳島に派遣し、また林から情報連絡を受けていたことは認め、その余の事実は否認する。

なお、神社本庁は、意見聴取のため、同年五月一二、一三日金子副総長を徳島に派遣している。

(二) 同(二)のうち、免職処分については、人事委員会の席上で弁明の機会を与えなければならないし、その時間的余裕もあったとの点は否認し、その余の事実は認める。なお、人事委員会を開催したのは、昭和五五年八月九日である。

第三疎明《省略》

理由

第一被保全権利

一  本件神社が天太玉命と猿田彦を祭り、殖産・交通安全・縁結びの神社として近隣の信仰を集めている宗教法人であること、申請人が昭和三九年三月三一日神社本庁によって本件神社の宮司に任命され、規則九条に基づき代表役員の地位に就いたこと、神社本庁が申請人に対し昭和五五年八月一四日進退規程二二条五号「職員として適当でないことが判明したとき」に該当するとの理由で本件処分をなし、それに伴って前記規則の規定に基づき申請人が本件神社の代表役員の地位を失ったこと、神社本庁が同年八月一九日同庁庁規(以下「庁規」という。)九〇条二項により株を本件神社の宮司に任命し、同日以降同人が本件神社の代表役員の地位にあることは、当事者間に争いがない。

二  まず、本件処分について裁判所が審判権を有するか否かを判断する。

1  被申請人らは、神社における宮司の地位は、宗教上の地位であって、その免職は宗教上の観点から適格性を判定してなされるものであるから、憲法及び宗教法人法上保障された信教の自由と宗教法人の自律権を尊重する上からも、当該宗教団体及び包括宗教団体の自由裁量が認められる事柄であり、免職の効力に対する裁判所の判断権は排除されるべきであるし、仮にそうでないとしても免職権限の濫用が存する場合にのみ判断を加えうるにすぎないとする。

たしかに、本件神社における宮司の役割は、神社神道の祭祀執行、教義の宣布等の宗教活動上の主宰者であって(当事者間に争いがない。)、宮司たる地位自体は宗教上の地位にすぎないから、その免職は宗教団体の内部において自律的に決せられるべきものである。しかしながら、本件のように、前記一判示のとおり、規則上、本件神社の宮司たる地位にある者をもって自動的に本件神社の代表役員に充てるものとされているところから、宗教法人の代表役員の地位の存否という具体的法律関係を判断する前提として特定人が宮司たる地位を有するか否かを判断する必要がある場合には、その判断の内容が宗教上の教義やその解釈にかかわるような場合は格別、そうでない限り、宮司の地位の存否については、神社本庁の排他的な自律権にゆだねることなく、裁判所が審判権を有するものと解すべきである。

そして、弁論の全趣旨に照らせば、本件訴訟の主たる争点は、本件神社の代表役員としての地位にある申請人が、役員総代と協力し規則に則して公正に同神社運営を行ったか否かという宗教上の問題以外の事項が核心をなし、当事者の主張立証もこれに即して行われていることが明らかである。したがって、申請人が代表役員の地位を有するか否かを判断するに際し、その前提問題をなす本件処分の適否について審理判断するのに支障はないものというべきである。

2  そこで、本件処分の適否について判断する。

(一)(1) 本件予算決算の未承認が、規則・神社財務規程に違反するか否かについて

昭和五五年七月当時までの役員・総代との関係で、本件予算決算が未承認であることは、当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる疎明はない。

規則によれば、本件神社の歳入歳出は予算に編入され、予算は、毎会計年度の開始される四月一日の一箇月前までに編成されて役員会の議決を経た後、総代会に報告される(規則二六、二七、三三条)。したがって、規則上は、遅くとも毎年三月一日までに予算案を審議のため役員会に提出しなければならないが、従来その提出期限は厳格に遵守されてはおらず、例えば昭和四九年以降役員会に予算案が提出されたのは、昭和四九年三月一日、同五〇年四月一日、同五一年四月七日、同五二年三月三〇日、同五三年三月三一日、同五四年四月一日であり、昭和五四年度を除き、いずれも右提出日付けで原案どおり予算が議決されている。その際、申請人が予算案を毎年三月一日までに役員会に提出しなかったことについて、役員からこれを規則違反として特に問題とするような指摘はなされていない。

同じく規則によれば、当該会計年度の出納は、年度終了時現在で閉鎖され、二箇月以内にこれを整理定結して決算をし、決算は役員会の議決を経た後総代会に報告される(規則三〇条、三三条)。したがって、決算は、毎年五月末日までに編成されなければならないが、役員会への提出及びその議決については、規則上明確な期限がなく、決算編成後速やかにこれを役員会へ提出すべきものと解される。申請人は、昭和四九年以降、昭和四九年七月一日、同五〇年八月一日(職員各係関係の収支については、同年九月一一日)、同五一年七月二七日、同五二年七月二八日、同五三年七月三一日に、役員会に決算案を提出し、原案どおり議決されており、予算と同様、役員会において特に決算の提出が遅滞している旨の指摘はなされていない。

ところで、昭和五四年度予算については、申請人が同年三月二四日開催の役員会に予算案を提出し、これが審議されたが議決に至らず、結論保留のまま同年四月一日開催の総代会に付議することとなった。そして、同日開催の総代会では、梯、青野らの役員兼総代が、当該予算案の妥当性を審議判断するためには、前年度の決算を調査する必要がある旨発言し、当時昭和五三年度決算は編成されていなかったことから、とりあえず昭和五四年四月一日から同年七月三一日までの間、原案の三分の一の予算の執行を認めるにとどまった。

その後、同年六月二七日と二九日の両日、昭和五三年度決算案審議のため役員会が開催され、役員は右両日にわたり会計書類等を検討し、火災保険契約締結の事情及び神職者の親睦団体である院友会費の支出等について若干の質疑応答があったほか、社僕堀江政雄の解任問題が話題とされたが、会計監査上の不正や重大な問題点について具体的な指摘はなされなかった。しかるに、役員らは、帳簿類等を更に詳細に検討する必要があることを理由に、昭和五三年度決算を議決せず、昭和五四年七月一四日に再度本件神社に赴き、監査のため決算関係書類を提出するよう申請人に要望したところ、申請人は、規則上(八条)役員会の招集は代表役員が行うべきであり、これがなされていない以上、事実上神社を訪れたからといって軽々しく応ずるとそれが前例となることを恐れ、また風邪で休務の折でもあったので右要望を断った。右のように予算案審議を拒否する一方、梯ら役員は、同年七月一三日には徳島県神社庁長林を訪問して、申請人の本件神社の私物化・独断専行を挙げて、罷免を上申し、同庁長の和解勧告に対しても、和解の時期は過ぎたとして、強硬な態度を示していた。このようにして、申請人と役員総代との対立は深刻化し、同月二七日開催予定の昭和五四年度予算案審議の役員会は、役員側の申出により開催に至らず、同月三一日の役員会では、同年八月分のみの予算(当初予算案の一二分の一)の執行を認めたにとどまり、同年八月一日には役員・総代によって申請人の退職勧告決議がなされ、同月五日付けで申請人に退職勧告書を渡すとともに、同月八日付けで申請人に対する罷免願が神社本庁に提出された。

その後、申請人は、同年九月から翌昭和五五年三月までの期間の予算案の審議のため、昭和五四年八月三〇日役員会を開催しようとしたが、既に申請人と断絶状態にあった役員三名はこれを欠席し、大部分の総代は神社の行事にも積極的に参加しなくなったことから、役員会・総代会の開催は事実上不可能となり、本件神社経営の必要上やむを得ない緊急処置として、右期間の予算は代表役員たる申請人の専決処分として執行することとした。

一方、前記罷免願を受理した神社本庁は、徳島県神社庁長である林を介して事情聴取を行うとともに、自ら事情調査のため、同年一一月二五日琴陵理事を本件神社に派遣し、更に翌昭和五五年一月二二日から二四日まで磯貝庶務部長、奥主事を派遣した。右調査結果に基づき、神社本庁は、同年二月一二日付けで申請人に対し、自戒自省の上速やかに当面の問題を解決して役員・総代との関係を正常に復し神社運営の万全を期すよう求め、昭和五四年度予算及び同五三年度決算につき役員会の承認を得て総代会へ報告をすることなど六点に及ぶ指示を記した申込書を送付したが、対立の一方当事者である役員・総代らには、右申込みをしたことを連絡しただけで、具体的指示はしなかった。

申請人は、右申込書が申請人に対してのみ送付されたものである上、その内容にも不満がなかったわけではないが、事態の解決のため、右申込書に沿って、申請人が規則・法規・庁規等に則り、役員・総代らと融和を図り、その協力を得て神社運営の正常化と神徳の宣揚に努めることを決意する旨の誓詞を、同年三月二七日付けで神社本庁に提出するとともに、これを実行に移して、同月一三日、二二日、三一日の三回にわたり役員会を招集し、昭和五四年度予算及び会計年度の開始が迫った昭和五五年度予算の審議を求めた。しかしながら、役員らは、申請人による従来の神社運営の在り方及び昭和五四年度予算の一部を専決処分として執行したこと等について、まず同人の見解ないし反省を述べるよう主張し、前年同様、昭和五三年度決算の監査を求めたため、両者の意見が対立したまま実質的な審議が行えず、依然として対立状態が継続した。昭和五五年五月一三日、一四日に神社本庁の金子副総長、奥主事が本件神社を訪れ、重ねて事情調査が行われ、その際申請人に進退伺の提出が求められ、同年六月三〇日にも文書により進退伺の提出が督促された。しかしながら、申請人は自己の弁明が全くいれられず、同人のみが責任をとる形で事態が処理されることに納得できなかったため、同年七月一六日付けで再度神社本庁による公平な調査を要望する旨回答し、進退伺を提出しなかった。

そして、申請人は、事態の打開のため、同月一七日付けで総代全員に対し、昭和五三年度、五四年度決算は後日慎重に審議することとし、まず昭和五五年度予算案を審議することについての賛否を返答するよう書面で求めたところ、木下三平、細川俊幸、藤川義夫の三名の総代がこれに応ずる旨回答し、その他の一二名の総代は回答しなかった。そこで、申請人は、弁護士らとも相談の上、任期途中の役員・総代の解任は規則に明示されていないが、それぞれ神社とは委任関係にあり、殊に役員については規則三四条の趣旨にも反していることを理由に代表役員において解任できるものと考え、右一二名の総代(うち三名については役員の資格に関しても)はもはや神社運営に協力する意思がないものとみなして、昭和五五年七月二三日付け書面をもってこれを解任した。次いで、同月二五日付けで右一二名の総代の推薦母体である各部落の町内会長に対し、新しい総代を推薦するよう依頼したところ、いずれも右解任は承服できないとして被解任者を推薦してきたため、申請人は、八月六日、旧総代の中から前田六助、藤原年男、藤原左馬太、氏橋武雄の四名を、神社参拝者の団体である崇敬会の中から新総代八名を選任し、同月八日新総代の中から三名の役員を委嘱した。そして、同日、右役員により、昭和五五年度予算が承認され、同月一一日、昭和五三年度、五四年度各決算が審議され、公認会計士に監査事務を委託した上で処置することが決定された。同月一四日、申請人は、本件処分を受けた。

(3) 以上の認定事実によれば、本件神社の規則上、予算の議決は決算審議に先行して行われなければならないこと、従来本件神社では、予算案を毎年三月中ないし四月初旬までの間に、決算案を七月中ないし八月初旬までの間に、それぞれ役員会に提出して議決を経ることが慣行となっており、これについて特に役員らから異議は出されていなかったこと、昭和五四年度予算案審議の際、初めて役員より昭和五三年度決算関係の書類を先に調査する必要がある旨求められ、数回検討のための役員会が開催されたが、更にその調査を要求する役員と昭和五四年度予算案の審議の先行を主張する申請人が対立したこと、その際、役員から予算案について積極的な修正意見の提案や決算について重大な会計監査上の不正等の具体的指摘はなされなかったこと、役員総代による罷免願の提出、神社本庁の事情調査、誓詞の提出を経た後、申請人により役員会が三回招集されたが、前同様、昭和五三年度、五四年度決算の審議を要求する役員・総代と昭和五四年度、五五年度予算案の審議を要求する申請人とが対立したまま、旧役員による実質的な審議が行われず、本件予算決算の未承認となったことが認められる。

そうすると、役員会で予算・決算の実質的な審議が行われなかったことについては、申請人になにがしかの責任がないではないとしても、申請人の再三にわたる要請にもかかわらず、規則や従来の慣行を無視して決算審議の先行に固執した役員らの態度にも、少なからずその原因があったものといわなければならない。したがって、本件予算決算の未承認及びこれを発端とする本件神社の管理、運営の混乱の責任を挙げて申請人のみに負わせることは公平を失して酷に過ぎるものというべきである。

(二) 申請人が昭和五五年七月従来の役員・総代一二名を解任し、新総代を選任したことが規則に違反するか否かについて

申請人が同月二三日付けで任期中の総代一二名(うち三名は役員を兼ねる。)を解任し、右総代の選出母体である町内氏子に新総代の推薦方を依頼したところ、被解任者を推薦する旨回答がなされたので、申請人が右一二名の総代に代えて独自に新総代を選任したことは当事者間に争いがない。

ところで、前記(一)の認定事実によれば、右解任当時、申請人は、神社本庁より口頭及び書面で進退伺の提出を強く求められ、相当追い込まれた状況にあったこと、昭和五五年度の会計年度が開始されていたにもかかわらず、その予算案の審議について役員・総代の協力が全く望まれない事態に立ち至っていたこと、申請人はこの事態を打開するため、総代全員に対し、昭和五三年度、五四年度各決算は後日慎重に審議することとして、まず昭和五五年度予算案を審議することについて賛否の返答を書面で求めたところ、一二名の総代からは回答すらなかったので、これらの者については神社運営に協力する意思がないものとして解任したこと、新総代は、旧総代の推薦母体である各町内氏子の意向を一応確認した上崇敬者の中から選任され、新役員についても新総代の中から規則に則して選任されていること、旧総代一五名のうち七名は新総代としてその地位にとどまっていること等が認められ、これらの事実を総合すると、申請人による役員・総代の解任及び新総代の選任行為は、申請人が神社の維持運営を掌理する立場にある代表役員としてその正常化のためにやむを得ずなされたことが明らかであり、そのやり方の点に批判の余地がないではないとしても、これをもって免職処分に値するほどの事由と解するのは相当でない。

(三) 申請人が、天然記念物である境内の松並木の松喰虫の駆除消毒について積極的に取り組もうとしなかったり、神社への寄付者氏名を刻んだ石柱を便所の敷石とし、役員より右敷石を取り除くよう注意されたが応じなかったりするなど、境内地全般にわたる保護・管理・整備についての対策を講じようとしなかったか否かについて

右のうち、松並木の松喰虫の駆除消毒の点については、《証拠省略》によると、松並木の近傍の部落住民の了解が容易に得られなかったため消毒作業に取り掛かるのが遷延したにすぎないことが認められ、その余についてはこれを認めるべき疎明がない。《証拠省略》中にはこれらを肯認しうるような供述部分もないではないが、右供述はそれ自体あいまいであり伝聞にわたる箇所も多いのでにわかに措信し難く、《証拠省略》は敷石の点につき疎明しうるものではない。

(四) 申請人が役員・総代と協力して神社運営を行わず、社務全般にわたり氏子の信用を失する専断的な数々の行為があり、また宮司としての品格を疑われるような非常識な言動があったか否かについて

右の事由はそれ自体抽象的であり、申請人のどのような具体的言動が本件処分を理由付けるのか明らかでないうらみがある。

それはともかく、本件神社の維持運営に関して、申請人と役員・総代との間がとかくぎくしゃくしてうまくいかず、その揚げ句、後者においては、前者に対して宮司を退職すべき旨の勧告をし、更に神社本庁に対して申請人の罷免願の提出をしたほか、予算の審議を拒否し、前者においては、自己の専決によって費用の支出をし、本件神社の維持運営に関し非協力的と目される役員・総代に対して解任通知を発するなど、双方共に強行手段に訴えてのっぴきならない状態に立ち至ったことは前認定のとおりである。そして、このような事態に陥ったことについては、申請人において、理に偏して役員・総代に対する細やかな配慮が不足し、対応の柔軟性に欠けていたことに起因する面があったことは否定することができず、大いに反省を要するところである。しかしながら、役員・総代の側にも、多々誤解に発した感情的な反発から衆をたのんで事を荒立て、必要以上に対立を激化せしめた面が顕著であり、到底看過することを許されないものがある。しかも、右紛争は、双方が冷静な気持ちに返り、小異を捨てて大同につく努力を尽くすならば、話合いによる円満な解決も必ずしも難しくはない底のものであって、右紛争の責任者として一方的に申請人を非難することは公平を失し、酷に過ぎるというべきである。その他申請人には、旅費の一部重複受領等の点でささいな過誤があったのは別として、特にその責任を問われるべき事由は、本件全疎明によっても認めることができない。

(五) 右(一)ないし(四)の点に関し神社本庁の求めに応じて、申請人が誓詞を差し入れておきながらこれを実行しなかったか否かについて

神社本庁が申請人に昭和五五年二月一二日申込みをなし、これに応じて申請人が同年三月二七日誓詞を提出したこと、その趣旨は、申請人が規則・法規・庁規等に則り、役員・総代らと融和を図り、その協力を得て神社運営の正常化と神徳の宣揚に努めることを決意したものであること、本件処分に至るまでの間申請人と役員・総代の大部分の者との関係が融和されず、神社運営の正常化が実現しなかったことは前認定のとおりである。

しかしながら、誓詞の趣旨はそれ自体かなりあいまいであり、申請人がどのような行為をなせばこれを実行したものといえるのか明らかとは言い難いのみならず、その履行については、役員・総代ら相手方のあることとて、その協力なくしては到底不可能であるから、結果的に神社運営の正常化がなされなかったからといって、これがすべて申請人の責任であると速断することはできず、申請人において相当程度の努力を払ったと認められるような事情が存する場合には、その責めに帰すべきものではないと解される。

ところで、昭和五五年二月、三月当時は予算・決算の審議承認をめぐって申請人と役員・総代との対立が相当深刻化し、神社本庁による二度の事情調査も行われていたこと、申請人は神社本庁から申込書を受領した後、同年三月一三日、二二日、三一日の三回にわたり役員会を招集して昭和五四年度、五五年度各予算の審議を求めたが、申請人の反省及び昭和五三年度決算の先議を強硬に主張する役員との間で意見が対立したまま実質的な審議に入れなかったこと、殊に役員らが、昭和五四年七月中旬ころから既に申請人罷免の固い決意を持って関係機関に働き掛け、柔軟な姿勢を失っていたこと、はいずれも前記2(一)(2)の認定のとおりである。そうすると、申請人としては、役員らと深刻な対立状況にある最中でも神社運営の正常化のために相当程度の努力を払ったものと見られ、誓詞の趣旨を実行しなかった責めを負うべきものとは言い難い。

(六) 以上の次第であって、本件処分を肯認するに足りる事由を見いだし得ないから、その余の点について判断するまでもなく、本件処分は無効と言うほかなく、申請人は依然として本件神社の代表役員としての地位を有するものと言うべきである。また、被申請人林は、申請人の後任者として本件神社の宮司に任命されて代表役員の地位にあるものである(当事者間に争いがない。)から、右任命もまた無効であり、同人は代表役員の地位を有しないものと言わざるを得ない。

第二保全の必要性

一  申請人が本件処分当時毎月二一日限り給与月額金三八万五八〇〇円の支給を受けていたが、昭和五五年九月以降その支給を受けていないこと、本件処分後も引き続き宮司職舎に居住していることは当事者間に争いがない。また、《証拠省略》によれば、申請人は妻と二人で生活し若干の年金及び恩給を支給されているものの他に収入の道はなく、成人した三名の子からは金銭的援助を受けていないことが認められ、これに反する疎明はない。

二  そうすると、申請人は本件神社から支給を受ける給与を主たる生活の資とするものであって、申請人の被申請人らに対する地位確認等の本案判決確定に至るまで申請人が本件処分を受けた状態のままで放置することは、申請人に経済生活上非常な困難を来して著しい損害を被らせる虞があるというべく、この損害を避けるためには、右判決確定に至るまで仮に、申請人が本件神社の代表役員の地位を有すること及びこれと両立しない林の代表役員としての職務執行を停止することを定め、かつ本件神社をして申請人に対し、従前と同一の条件で給与相当額の金員を支払わせる必要があるものというべきである。

第三結論

よって、本件仮処分申請はいずれも理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野利隆 裁判官 田中観一郎 清水節)

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